使徒の働き3章から5章は、1章と2章で始まった神の国の爆発的な広がりが、何によっても止められないことを見せている。ペテロとヨハネは、美しの門で物乞いをしていた足の不自由な人に、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう」と言い、ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がらせる。その人の歩く姿、飛び跳ねる姿、神を賛美する姿は、イエスの名が今も生きて働いている証拠となる。
宗教的なリーダーたちは、その働きを止めようとしてペテロとヨハネを捕らえ、脅し、牢に入れる。しかし悪魔は教会を止めようとはしても、止めることはできない。キリストはすでに十字架で勝利し、悪魔の武装を解除された。教会の強さは人がすごいからではなく、キリストの霊が教会の内に生きておられるからである。
迫害は、教会を黙らせるための圧力としてやって来る。しかし使徒たちの祈りは、「守ってください」だけではなく、「もっと大胆に語らせてください」という祈りだった。聖霊は祈る者たちを満たし、集まっていた場所を揺らし、神の言葉をさらに大胆に語らせた。ペテロの「人に従うより、神に従うべきです」という告白は、脅しの前で引かない教会の姿を表している。
罪は人を滅ぼすことがあっても、教会を滅ぼすことはできない。アナニアとサフィラの出来事は、聖霊を欺き、主を試みることの厳しさを示す。キリストは御言葉と水の洗いによって花嫁である教会を清め、しみもしわもないものとされる。柔らかい心は水と石鹸のように整えられ、反逆する心は精錬する火を通ることがあるが、神の目的は花嫁を聖くすることである。
神の国の増し加わりと平和には終わりがない。日本にも福音は広がり、神の国の前進は必ず起こる。神の問いは、その前進が起こるかどうかではなく、「誰が行くだろうか。その一部になるだろうか」という問いである。
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Key Takeaways
- 1. 悪魔は教会を止められない キリストの勝利は、教会の状況が楽かどうかにかかっていない。十字架によって勝利されたイエスの霊が教会の内に住んでおられることが土台である。悪魔の攻撃は現実でも、その攻撃は教会の終わりを決める力を持たない。 [05:38]
- 2. 迫害は大胆さを生み出す 迫害は教会を静かにさせようとするが、使徒たちはその圧力の中でさらに大胆さを求めた。聖霊は安全だけを求める心ではなく、イエスの名を語り続ける心を満たされる。拒絶や恥ずかしさの中でも、福音を隠さない者に神の力が現れる。 [09:51]
- 3. 神に従うことを選ぶ ペテロの答えは、人の命令より神への従順を上に置いた。信仰は、圧力がない場所だけで告白するものではない。イエスの名を語ることが不都合になった時こそ、誰に従うのかがはっきりする。 [10:57]
- 4. キリストは花嫁を清められる 罪は深刻であり、聖霊を試みることは軽く扱えない。けれどもキリストは教会を見捨てず、しみもしわもない花嫁とするために清め続けられる。矯正の痛みさえ、花嫁を滅ぼすためではなく、聖くするために用いられる。 [19:15]
- 5. 神の国の前進に加わる 神の国が広がることは、人の楽観的な願いではなく、神の約束である。神は人を強制せず、「誰が行くだろうか」と呼びかけられる。自分の計画や握っているものを主に渡す時、信者は神の大きな働きの一部となる。
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